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元横綱・曙太郎さん死去 大相撲の国際化・大型化の源流

大相撲の第64代横綱曙太郎さんが心不全で亡くなりました。54歳でした。

アメリカ・ハワイ出身の曙さんは、ハワイ出身の東関親方(元関脇の高見山)にスカウトされて来日。1988年(昭和63年)、18歳で初土俵。同期には若乃花貴乃花兄弟、元大関魁皇がおり、「花の63組」と言われ、大相撲史上でも最も成功した世代とされます。

身長2メートル体重200キロの体格を生かした突き押し相撲で圧倒。1993年には若乃花貴乃花よりも早く横綱の座に就きました。歴代10位タイの11回の優勝を果たしましたが、両膝のケガの悪化により、2001年に引退。引退後は親方として東関部屋で後輩を指導していたが、2003年に突然、格闘家に転向。2003年の格闘技デビュー戦となったK-1ではボブ・サップと戦いKO負けも、瞬間最高視聴率がNHK紅白歌合戦を超える43.0%を記録。最近は心臓の疾患などを抱え、闘病生活を送っていました。

曙の3つ下、若乃花の2つ下、貴乃花魁皇は同学年と、私は彼らと全く世代が同じ。この頃が大相撲の最高潮の時代だったと思います。それくらい若貴フィーバーは凄かったですが、名実ともに彼らをけん引したのが曙でした。とにかく憎たらしいくらい強かったですが、記事にあるような「悪役」のイメージは私はなかったです。ハワイから来日し、猛げいこで番付を上げ、頑張っている姿を大相撲ファンはみんな知っていました。

あの時代は、大関横綱に猛者がわんさかいました。これは日本の部屋システムの特徴でもありますが、同部屋の力士とは対戦しません。若貴は優勝決定戦以外は直接対決はしませんし、大関貴ノ浪ともやりません。しかし、曙は、若貴武蔵丸魁皇貴ノ浪琴錦など、全員と当たります。もう中日を過ぎると次から次へと地力のある力士が向かってきます。しかし、曙はすべてはねのけてきました。優勝決定戦を除いた対戦戦績は、vs貴乃花は21勝21敗が五分、vs若乃花も18勝17敗とほぼ五分。最大のライバルだった貴乃花とは、優勝決定戦を入れても25勝25敗と全くの五分でした。

あと曙で思い出すのは、1998年の長野五輪開会式での土俵入りです。記事にもありますが、極寒の中でも額から大粒の汗が流れ落ちるほどの重圧に耐えながらみせた荘厳な土俵入りは、世界の人々の胸を打ちました。これには感動しました。めちゃくちゃ寒い中、よくやらすなと。千代の富士とかなら引き受けなかったんじゃないかなと思います。

ご冥福をお祈りします。

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