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令和の国難に防人の備え 歴史が教える負担の覚悟

現在の日本周辺を考えると、軍事侵攻を続け核で脅しをかけるロシア、弾道ミサイルを発射し続ける北朝鮮、そして台湾統一に向け意欲を隠さない中国など、独裁国家に囲まれた厄介な状況にあると、記事は始まっています。


過去の日本の歴史を振り返ると似たような時代があり、現実を直視せず戦争に突き進んで国が滅んだ1945年を別にすると、過去にはおそらく3度の国難というべき国家の危機があったと芹川論説フェローは言います。


最初は、663年の白村江の戦い百済の援軍として朝鮮半島に大軍を派遣するものの、唐・新羅の連合軍に大敗しました。2度目は、蒙古襲来。2度にわたって襲撃されましたが、暴風雨などにも助けられ、退いてくれました。文永・弘安の役です。3度目が1853年の黒船到来からの約半世紀、最大ピンチは1904年の日露戦争でした。


それぞれの危機で、日本は国を挙げて国防の努力をしました。白村江の戦の後、大和政権は大宰府を固め、南方には支援基地を設けました。対馬から大和にかけては朝鮮式の山城も作り、飛鳥から、より内陸の近江大津宮に遷都までしました。


元寇の時も、神風に助けられたものの、九州の御家人たちがよく戦い、博多湾沖には防塁を築きました。


日露戦争は、まさに「皇国の興廃」を決する戦いになり、本格的な物量戦に突入。軍費の調達が最大の問題であり、その立役者が高橋是清でした。外債の発行は有名ですが、国内でも戦費を賄うためにあらゆる項目で増税しました。恒久財源として相続税を新設し、塩を専売にしました。


もちろん、日露戦争と今を単純比較はできませんが、古代の防人・中世の御家人・そして明治の人々の涙ぐましい努力で踏ん張ってきましたが、令和の国難に相対して、その覚悟と気概が今の日本にはありますか?と、記事は締めくくられています。歴史は巡り巡ります。今こそ歴史に学ぶ時だと思います。

 

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